藤樹園で講師をしております川﨑です。
寒さ厳しい早春に、他の花に先駆けて凛として咲く梅の花。
梅の盆栽をお持ちの方も多いと思います。梅らしく古木感を出すためにはどのようにしたら良いのでしょうか。
梅盆栽のお話です。
私が藤樹園の生徒のころ、先生方による講話会が行われていました。
講話の中の盆栽の基本という話では、
自己流、自己満足のものは何年たっても樹格が上がらない(不自然なもの)。
基をよく知り学ぶ、地球の速度に合わせて経験を積み重ねてゆくこれを繰り返すこと。
基が大切という事です。
「若い木か」「古い木か」「太い木か」「細い木か」この四つの作り方が基本となります。
それに加え「らしくつくる」ことが加わります。
梅の木は他の雑木と違って枝が折れても「ビシット」折れたままです。
梅の古木となると幹の中は腐って皮質の部分だけで生育しています。
梅の木はなよなよとぶら下がる枝はありません。
梅の木は梅の木らしく作ることに専念したいです。
画像は、新木から作りこみ今回で四年目になる盆栽教室生徒、桒原さんの梅です。
年ごとに手を加えることにより梅の木らしくなって来ていますが、ここでもう一度作り方の基本に戻ってみます。
この梅の木は肌も荒れて幹も太い「古い木」で「太い木」の部類になります。
次に梅らしさはどうか。
枝は折れた枝がそのまま「ビシット」残っているか「残っている」。
なよなよとぶら下がる枝はな無いか「無い」。古木感は「遠い」。
より梅らしく近づける為作業を行います。
花が咲き終わった3月7日。
古木感を出し余分な贅肉を取り去る構想です。
舎利に沿って樹を縦に割ってゆき二つに分けていきます。
(持ち主はあまり納得していないようだが)作業を進めてゆく事にしました。
作業は根張りの近くまで割りを入れ、自然の流れを出すよう彫刻し今回の作業はこで終了です。
あとは樹を休ませます。
数年に渡って削りを入れてきた、梅を2つに割るほどの削りを入れました。
もともと、根張りの割には頭が重く、頭の重さを軽減できるように彫りを入れてきました。
盆栽を始めてびっくりしたのは、こんなにも自然に逆らって人間の力で捻じ曲げたり、掘ったりする現実です。
完成品を見ている立場ではここまで人の手で作っているとは想像もできませんでした。
ですので、しばらくは在らぬ方向へ万力を使って曲げることや、舎利を入れるために皮を剥いで削ることなどが、可哀そうでなりませんでした。植物への虐待かと思える程でした。
それは今も拭い去れない部分でもあり、梅を削る過程でも生きている木を削ることへの躊躇があります。
そんな気持ちがあるので、川崎先生の躊躇ないドリルでの穴あけは、少しずつ様子を見ながらと思う私には多少気持ちが追い付けない感じがしながら進めました。
先生には仕上がりのイメージが見えていると思います。
しかし私にはそのイメージを掴むには時間が掛り、イメージの理解より作業が優先している感じがしました。
もう少し自分でイメージを作れるようになり、それを共有し作業できればいいと思います。
それには、色々な作品を見る経験も必要と実感しております。
それから彫っているとその箇所ばかりに目が向いて、全体をみることができなくなります。
台の上に乗せ四方からみると不自然さがよくわかりました。
自然にできた窪み・割れに見えるように、俯瞰して見られるように時間をおいて修正していきたいと思います。
この作品は足元は1つで頭が2つの「双頭の梅」のイメージで作りながら、変化に応じて形を修正していきたいと思います。
三年間でこの樹に対する一連の作業は出来ました。
四年目に入り、今年はこの樹の個性を出したいと思い、盆栽として仕立てる仕事を選択しました。
梅は雑木、花物の部類ですが、
白羽二重とはほど遠く、古木になると肌が荒れ幹は木質部が腐って洞が出来、皮質の部分だけで生きていきます。
この樹を古木の梅らしくする為、幹の丸みを取り、ぜい肉を落とし、梅らしくするためドリルまで使いました。
木に対してかなり過酷な仕事をしましたが、大きな仕事はここで終了です。
桒原さんの感想の中に俯瞰してみるとありますが、そのとおりです。
夢中で仕事をしているとその部分しか見えていない。
仕事の途中、区切りの良いとき必ず「点」から離れて全体をみる。
迷ったときには手を止めて離れて観る、すると見え方が変わってきます。
二つに割る仕事が終わり次の仕事に入ったとき、どこに人工的な部分があるか、これを消すためにはこうしたい、という意見が出ました。
盆栽は自然そのものよりもさらに美化するため、人間の手を入れ長い年月をかけ仕立ててゆくものです。
ここで樹を休ませて次回の仕事は6月頃枝の「折だめ」となります。
▼サイト内限定動画 川崎先生の梅の彫刻です
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