YouTubeなどで盆栽の動画を発信をしていると、
「虐待行為」「酷いことをする」「日本人は鬼畜」
等のコメントが付くことがあります。
そんなコメントが付くと、本当にそうなのか考えることが多いです。
植物には感情がある、知性があるという話もよく聞きます。
今回はそんな盆栽×虐待について書いていこうと思います。
まず有名な話でいくとバクスター効果についてです。
クリーヴ・バクスターという人が植物にポリグラフ(嘘発見器)を接続し、ふと植物を燃やそうとすると、あたかも思考のような反応が起こったといいます。
こういう話は話題性もありますし世界中に拡散されたようですが、
「動物や人間とはまったく違う組織をもった植物が心や感情をもっていて、精神的な威嚇におぼえることがあるとは認めがたい」という意見も多く上がったようです。
またテレビ番組でバクスターと同じ実験をした時も全く反応がなかったという話もあります。
じゃあ、植物に感情はないのかな??
と結論付けるのはまだ早いかもしれません。
アフリカのサバンナに生息するアカシアは、キリンが葉を食べ始めると、不味い毒を葉に送り込んで実を守ろうとするそうです。しかも数分で起こる現象です。
葉が不味くなったキリンは別のアカシアへ向かいます。しかしアカシアはエチレンというガスを発生し、近くの仲間に危険を知らせるそうです。
また、我々にも馴染み深いニレと松は葉を昆虫にかじられると、電気信号を根に向かって送ります。
信号を受けると葉に受かって苦い化学物質を送り込んで身を守ろうとするそうです。
さらに!木は唾液から襲撃者を特定するそうです。
犯人を特定し、ある種のフェロモンを放出して、その襲撃者の天敵を呼び寄せてしまうとのことです。
引用:カラパイア
すげー!と感動しつつも、
これって植物の防衛的な反射とも捉えられるし、種を守るための進化でそうなっただけとも考えられなくもないです。
仮に例を挙げましたが、知性や感情の有無については賛否あると思います。
仮に植物に感情があるとして、盆栽のような木を痛めつける行為は虐待だ!というのが今回の記事の主旨です。
確かに180度幹を曲げて痛々しく思う気持ちもあります。取り木をすることも人間で考えたらかなりエグイ行為です。持ち主が無理をさせて枯らしてしまった場合は、木が可哀想かもしれません。
しかし前提として盆栽は木を良くするために様々な方法で弄り倒します。数百年も前から木の知識を蓄え、様々な手法で木を労り愛情を持って管理していたのが盆栽でもあります。
「木を良くする」というのは人間の感覚で良くしているだけで、植物にとって良くなっている訳ではないという反対意見もあると思います。
個人的な意見でいえば、(ここから持論が展開します)
それで良いと考えています。人間からみて良くするでいい。
地球の支配者である人間が価値を持たなければ淘汰されるからです。
盆栽に価値が無ければ手厚く保護されることもないですし、そもそもその木は生まれてきていないです。
良い木を育てようという気持ちで種を蒔き、挿し木や取り木などをして木を増やしている、命を生み出しているのが盆栽です。
我々人類は木を燃やして暖をとり、伐採して土地を広げ、家を建ててきました。森が減るたびに人間以外の生き物が死滅します。
我々が普段食べているものがどのような経緯で食卓に並ぶか考えてみてください。
人間は全員もれなく鬼畜。人間以外の生物を全て虐待しているじゃないか。
そんな鬼畜の中でも他の生物を増やし、愛情をもって接している盆栽は鬼畜の中でも若干マシです。
感情のある生物も蔑ろにする人類は、植物に感情があろうとなかろうと関係ない…。と一般的にはなる気がします。
そう考えるからこそ配慮し、感謝して生きていけばいいのではないでしょうか。
(ヤバイ思想を持っていると思われちゃうので、この辺で持論をやめておきます)
そもそもこの記事を書き始めたのは、QTシャツの購入者からこんなコメントが入ったからです。
盆栽を虐待と決めつけるのは、間違えていると思います。 服だったり、食べ物だったりは全て命から出来ています。 衣食住は必要だから仕方ないという意見もありますが、その意見は人間に都合が良い話で、 加工される植物や食べられる動物からすると、知ったこっちゃない話です。 それを差し置いて自分の主観で語る人が、盆栽の気持ちを想像で語る事自体がおかしいです。 全ての生物が生きる上で他の生物を犠牲にするのは当たり前の事で、許す許されないの話ではなく、それが自然なのだと思います。 人間が大きな脳を持って誕生した以上、植物を使ってアート表現したりするのも含めて普通であり自然な事なんだと思います。 意思疎通が叶わない動物や植物のことを自分の想像で語るのは全然良いと思いますが、 あくまで勝手な想像だという前提を忘れて人を責めるのは無茶な話だと思います。 そんな感じで、Tシャツ届いたらクラブとかに着ていきます! つっこまれそうで楽しみです笑
うん、同意見だなあということで書かせていただきました。
他人を否定することは簡単だし、自分の優位性が取れる快楽行為に近いものがあると思います。
自分でもそういった行為をしないよう注意したいと思います。(難しいですよね)
ということで、今まで同様に愛情をもって木に接し、枯らしてしまった時は自分の知識と管理不足を反省し、世話することで木が喜んでいるという"主観的"な感情で盆栽を楽しんでいきたいと思います。
木に感情があるかないかは正確には分かりませんが、我々盆栽愛好家や盆栽士さん方は感情があるように接することが多いです。
意見を言われるたびに考えればいいし、今できる最善を尽くせばいいと思います。
目に見えるものが真実とは限らない。何が本当で、何が嘘か。
植物に感情があるのか。
盆栽がなかったら銘木は今も生きていたのか。
他人の意見を変えようとすることは自分の意見を押し付ける行為なのか。
我々は盆栽の未来を変えられるのか。
コンフィデンスマンQの世界へようこそ。
疑問文を書き連ねると、どうしても毎回これが出てくる。